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東京地方裁判所 平成11年(ワ)26822号 判決 2000年9月22日

原告 X

右訴訟代理人弁護士 永松栄司

右同 三原崇功

被告 安田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 A

右訴訟代理人弁護士 平沼高明

右同 加々美光子

右同 小西貞行

右同 平沼直人

右同 水谷裕美

右同 福岡聰一郎

主文

一  被告は、原告に対し、金212万8,100円及びこれに対する平成11年12月4日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文と同旨

第二事案の概要

一  本件は、原告が被告との間で締結した税理士職業賠償責任保険契約に基づいて被告に対し保険金の支払いを求めたのに対し、被告が免責事由の存在を主張して争った事案である。

二  前提となる事実(認定に使用した証拠等は各項の末尾に摘示した。)

1  原告は、税理士であり、被告は損害保険業その他を事業目的とする株式会社である。

2  原告は、平成9年6月ころ、被告との間で、原告を被保険者として、保険期間は平成9年7月1日から平成10年7月1日まで、保険てん補限度額は1請求当たり1億円、保険期間中の総てん補限度額は2億円とする税理士職業賠償責任保険契約(原告が、日本国内において、税理士としての業務遂行にあたり、職業上相当な注意をしなかったことに基づき提起された損害賠償請求について法律上の賠償責任を負担することによって被る損害をてん補する旨の保険契約)を締結した(以下「本件保険契約」という)。

3  本件保険契約においては、賠償責任保険普通約款に加えて税理士特約条項が適用され、その税理士特約条項5条には、①「保険者は、過少申告加算税、無申告加算税、不納付加算税、延滞税もしくは利子税または過少申告加算金、不申告加算金もしくは延滞金に相当する損害については、普通約款第2条(損害の範囲及び責任限度)第1項第1号の損害として、これをてん補しません。」(以下「1項の免責条項」という)、②「保険契約者は、納税申告書を法定申告期限までに提出せず、または納付すべき税額を期限内に納付せず、もしくはその額が過少であった場合において、修正申告、更正または決定により納付すべきことになる本税(累積増差税額を含みます。)等の本来納付すべき税額の全部もしくは一部に相当する金額につき、被保険者が加害者に対して行う支払(名目のいかんを問いません。)についてはこれをてん補しません。」(以下「本件免責条項」という)との各定めがある。

4  原告は、a工業株式会社(以下「a工業」という)から委託を受け、a工業の第28期(平成8年5月1日から平成9年4月30日まで)の税務申告を行ったが、その際、a工業が平成9年1月に購入したインテリジェントロボットNCMP1台(取得価額2,060万円)、同年4月に購入した工程管理システムASIS100PCL1台(取得価額510万円)の合計2台の電子機器利用設備(以下「本件設備」という)について租税特別措置法42条の7第13項を適用することを意図し、さらには同条項が同法42条の7第1項に統合されたと誤信して確定申告書を作成し、その結果、a工業は本件設備の取得価額の30パーセント相当額を損金に加えて純利益を圧縮して法人税と法人市民税の合計342万0,200円の納付を免れていた。ところが、原告の右申告の誤りが指摘された結果、a工業は右全額の修正申告を余儀なくされ、右全額を納付するに至った。(<証拠省略>)

5  右本件設備購入に伴う確定申告にあたっては、本来租税特別措置法42条の6が適用されるべきであるところ、その適用によれば、a工業は、本来法人税179万9,000円、法人都民税10万7,900円及び法人市民税22万1,200円、合計212万8,100円の納付を免れることができたが、前記修正申告については宥恕規定が設けられていなかったため、この部分についてはa工業の損害となった。(甲7、甲12、弁論の全趣旨)

6  原告は、平成10年5月28日、a工業から、前項の損害が原告の職業上の注意義務違反に基づくものであるとして、損害賠償請求を受けた。(甲12、弁論の全趣旨)

三  争点及び争点に関する当事者の主張

前提事実によれば、原告と被告の間で本件保険契約が締結されたこと、本件保険契約の保険期間中に、原告が税理士としての業務遂行にあたり職業上相当な注意を怠ったことを理由としてa工業から212万8,100円の損害賠償請求を受けていることが明らかであり、また、前提事実によれば、法律上原告がa工業に対し、右損害賠償義務を負っていることも認められるというべきであるから、本件の争点は、右保険事故につき、本件免責条項の適用があると言えるか否かである。

この点に関する当事者双方の主張は次のとおりである。

(原告)

1 本件保険事故は、原告が本件設備に関する税務申告にあたり、租税特別措置法第42条の6を適用しなかったことにより、同条を適用していれば納付せずに済んだ税金相当額についてのa工業の損害に関するものであり、典型的な過大納付事例である。

確かに、当時適用の廃止されていた租税特別措置法第42条の7を適用して行った当初の税務申告が税金の過少申告になることは否定できないが、右租税特別措置法第42条の7の適用行為は、同時に租税特別措置法第42条の6の不適用行為にも当たるわけであり、本件免責条項の対象となる過少申告か否かは税務申告行為全体から判断すべきである。

2 本件税理士職業賠償責任保険は、税務行政に支障がなく税理士の過失行為によって依頼者に損害が生じた場合に備えるものであるところ、少なくとも本件においては、a工業が修正申告に従って追納付分を速やかに全額納付したことで、過大納付分を還付していないという意味で税務当局のプラスにこそなれマイナスにはなっていないものであり、仮に、本件において本件免責条項の適用があるとすれば、その限りにおいて本件免責条項は公序良俗に反して無効というべきである。

3 また、原告としては、本件免責条項の趣旨は、本来税金として支払うべき分については保険金ではてん補しないことを注意的に定めたものと解しており、仮に被告の主張するような解釈になるのであれば、少なくとも原告は本件免責条項の内容を全く理解していなかったもので、本件免責条項についての原告被告の間での合意は不成立ないし錯誤により無効と解すべきである。

(被告)

1 本件免責特約は、納税すべき税の「額が過少であった場合において」としか定めておらず、被保険者の納税申告事務の処理態様については問題としていないから、本件免責条項が適用される要件としては、被保険者の納税申告事務の処理の結果、その納税すべき税額が過少であるということに尽き、被保険者の納税申告が過少申告であった場合であれば一様に本件免責条項の対象となる。従って、本件免責条項は、被保険者の納税申告行為の行為態様については何ら問題としておらず、被保険者のした納税申告事務がどのようなものであっても関係はないものである。そうすると、原告がa工業の依頼を受けて行った当初の税務申告が過少申告であったことは明らかである。

そして、本件免責条項で免責の対象となる「修正申告により納付すべきこととなる本税等の本来納付すべき税額」とは、当初修正申告により改めて追加的に納付すべきことになった税額をいうことは文言上明らかであるから、a工業が追加納付した分については、これが原告に対し損害賠償請求を求めうるものであったとしても、本件免責条項の対象となり、被告はその支払義務を負わないというべきである。

2 本件免責条項は、申告納税制度のもとにおける国民の適正な納税意識の確立及び円滑な租税行政の確保の趣旨で定められたものである。そして、申告納税制度のもとでは、納税者には適正な申告をすることが求められ、これを受けて税理士は、申告納税制度の理念に沿った納税義務の適正な実現を図る使命も有しているものである。

仮に、税理士の過誤に起因して申告納税額が結果的に過少となったときも、修正申告または更正により納付すべきこととなる本税相当額が常に保険によりてん補されるとなると、税理士は、その納税申告が正確であるかどうかに意を払わなくなり、結果的に租税行政の円滑性を阻害し、ひいては国民の適正な納税意識も阻害されてしまうことになる。

本件免責条項は、このようなことにも配慮したうえ、保険契約者たる日本税理士会連合会と団体保険契約を締結し、1項の免責条項と相まって、過少申告加算税のみならず、本税も広く免責の対象として、過少申告行為者に保険の利益を得させないこととしたものである。

3 過少申告の場合に、修正申告により納付すべきこととなる本税等は免責となることは、加入の際のパンフレット、事故例として被保険者に告知してあり、また、右保険金の不払事例は、いずれも日本税理士会連合会の会誌に掲載されているもので、本件保険事故について保険金が支払われるとの原告の信頼は主観的なものに過ぎない。

第三当裁判所の判断

一  本件免責条項の趣旨について

前記認定のとおり、本件保険契約については、本件免責条項が存するところ、弁論の全趣旨によれば、1項の免責条項と本件免責条項が規定された趣旨、目的は、納税者が、税理士の関与の下にとりあえず過少申告を行い、それが税務当局に発覚した場合には、税理士に対して賠償責任を追求し、過少申告等によって免れようとした税額相当額の支払いを受ける一方、税理士がその支払額について賠償責任を受けられるものとすると、事実が発覚したときでも賠償責任保険によって税額相当額がてん補されるという担保の下に、過少申告等の違法な納税申告行為を誘発することになるということになり、ひいては申告納税制度の根幹を危うくするおそれがあるため、このような危険を防止することを図ろうとしたものであると認めることができる。

そこで以下、右の本件免責条項が規定された趣旨、目的を考慮して、本件保険事故が本件免責条項の対象となるか否かを検討する。

二  原告による税務申告が本件免責条項でいう「納付すべき税額が過少であった場合」に当たると言えるか。

この点に関しては、原告は、本件設備について租税特別措置法42条の7第13項を適用することを意図し、さらには同条項が同法42条の7第1項に統合されたと誤信して確定申告書を作成し、その結果、a工業は本件設備の取得価額の30パーセント相当額を損金に加えて純利益を圧縮して法人税と法人市民税の合計342万0,200円の納付を免れていたため、同額の修正申告を余儀なくされたというのであるから、右当初の申告が修正申告との関係で過少申告であったことは明らかであるし、本来適用すべき租税特別措置法42条の6を前提としても、適法に免れることのできた税額は、法人税、法人都民税及び法人市民税の合計212万8,100円であったというのであるから、その差額129万2,100円については過小申告であったことは明らかであるから、いずれにしても、原告が当初行ったa工業の税務申告は、本件免責条項でいう「納付すべき税額が過少であった場合」にあたるというべきである。

三  修正申告により納付した342万0,200円が、本件免責条項で免責の対象となる「修正申告により納付すべきこととなる本税等の本来納付すべき税額」に当たると言えるか。

本件免責条項では、免責の対象となるのは、「修正申告、更正または決定により納付すべきことになる本税等、本来納付すべきこととなる税額の全部もしくは一部」としており、乙8号証によれば、右「本来納付すべき税額」の解釈として、納税者が本来納税義務を負っているものは当然のこと、税理士の過失により修正申告の形式によって発生したものも含むとしており、この文言の文理解釈を前提とする限り、右342万0,200円が免責の対象となる「修正申告により納付すべきこととなる本税等の本来納付すべき税額」に当たると解することはできる。

しかし、一方で、本件保険事故に関しては、①前記のとおり、「納付すべき税額が過少であった場合」の解釈としても、修正申告との対比の場合と本来納付すべき税額との対比の2通りの解釈が可能であること、②右342万0,200円のうち、129万2,100円については本来納付すべき税額との関係でも過少申告となる部分(以下「本件過少申告部分」という)であるのに対し、その余の212万8,100円については、修正申告との関係では過少申告となるが、本来納付すべき税額との関係では過大申告となる部分(以下「本件過大申告部分」という)であること、③右「本来納付すべき税額」の解釈については、被告が作成交付している本件保険契約に関するパンフレット(甲3、乙8)に記載があるものであって、本件免責条項の本文にはそのような文言は存しないところ、納税者が本来納付すべき税額と修正申告の形式によって発生した税額とが異なる場合にそのいずれを基準とするのかは規定の文言上は必ずしも明確でないこと、④本件免責条項によれば、免責の対象となるのはその「全部もしくは一部に相当する金額についての支払」とされており文言の形式的解釈の限度では、本件過少申告部分と本件過大申告部分を分ける余地もあること、からすると、右本件過少申告部分については、これを免責条項の対象として保険でてん補することを否定することは、前記本件免責条項が規定された趣旨、目的に照らしてもなんら疑問を差し挟む余地はないと言えるが、一方で本件過大申告部分についてまでも同様に保険によるてん補を一律に否定することは、約款の文言の合理的解釈として、また、本件原告の従業員の陳述書にもあるような本件保険契約締結にあたっての被保険者側の認識からしても、必ずしも相当とは言えないというべきである。

すなわち、1項の免責条項及び本件免責条項の趣旨、目的からすると、加算税、加算金等や本件過少申告部分の場合とは異なり、本件過大申告部分のような本来的には過大申告にあたる部分については、本来納税の必要がなかった部分とみる余地があるし、税理士がそのような過ちを犯すに至った理由次第では、これに対する免責を認めなくても、そのことからただちに過少申告等の違法な納税申告行為を誘発し、ひいては申告納税制度の根幹を危うくするおそれが生ずるとまでも言えないし、一方で、原告が一貫して主張しているように、本件のように本来納付すべき税額との関係で過大申告にあたるような場合には、被保険者の側において、これが本件保険契約に基づいててん補されうるであろうとする素朴な信頼を持つであろうことは容易に推認できるし、そのこと自体は必ずしも不合理なものとは言えないからである。

そうであるとすれば、本件免責条項の合理的解釈としては、本件過小申告部分については、原告の過失の程度にかかわらず当然に免責の対象とすべきと言えるが、本件過大申告部分については、原告が本来適用すべき租税特別措置法42条の6の適用を怠ったことにつき故意又はこれに準じる程度の重過失のあった場合に限って免責の対象とするものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、原告が誤って租税特別措置法42条の7の第1項の適用があるものとして当初の税務申告を行ったのは、改定前の申告書の用紙を使用したことに端を発しているとはいえ、原告はあらかじめ地元の藤沢税務署に電話で確認までしたというのであり、その際の担当者の回答を鵜呑みにしたことが当初の誤った税務申告の原因となっているというものであって(甲12、弁論の全趣旨)、原告の過失自体は、軽過失に止まるものと認めるべきである。

なお、被告は、本件免責条項制定の趣旨は、過少申告、無申告、不納付に該当する場合、過少等の部分(修正、更正、決定により納付することになる本税部分)について、保険で担保することは、故意的ないしは杜撰な過少申告、無申告、不納付事案を助長するおそれがあるため、これらの危険を全面的に排除することを目的に、形式的に過少申告等にあたる場合には、一律本税相当部分につき免責にしたものであるとも主張する。確かに、故意的ないしは杜撰な過少申告、無申告、不納付事案を助長することは避けるべきであると考えるが、本件過大申告部分のように本来的には納税の必要がなかった部分については、前述のように、故意又はこれに準じる程度の重過失のあった場合に限って免責の対象としたとしても、十分にその目的は達しうるというべきであり、特に、被保険者側の意向も考慮した本件免責条項の合理的解釈の見地も加味すると、そのように解するのが相当というべきである(原告が主張するように税理士は依頼者の利益になるよう本来納めなくてもよい税金は納めずに済むよう税務処理するのが通常であることからすると、何らかの過少申告の要素があるからといって、それだけで保険金の支払いを一律に否定することは、逆の意味で税理士の業務遂行に支障を来しかねず、納税者の側に立った適正な税の申告納付に悪影響を及ぼす可能性すらありうると言うべきである。)。

四  結論

以上のとおりであって、本件過大申告部分については、原告が当初の税務申告を行ったことにつき故意もしくはこれに準じる程度の重過失は認められないから、本件免責条項による免責の対象とはならないと解される。よって、その余の点につき判断するまでもなく原告の請求はすべて理由があるから、原告の請求を認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 西岡清一郎)

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